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UPSの底力
独逸は、連日、一日中冷凍庫の中のような気温。
在住の皆様、生きておられますか?
げろんと、気管支炎のような、喘息のような症状が出ていまして、ずっと治りません。
現在、家庭の事情で、何かと外出する用事が多いものですから、家に閉じこもって治すことができなかったのです。今日は、久々に用事がなかったので、郵便受け&ゴミ捨てに家を一瞬出た以外は、引きこもっておりました。
薬の出前も頼みましたので、今晩ぐっすり眠って(可能なんだろうか??)、明日には良くなっているといいなあ・・・。


さてさて、先回の日記で、融通の利かなさを暴露された宅配業者。
何と、続きがあったのです。


ブログ記事にして、某所でもつぶやき、たまたま別件で電話してきたろん夫にも悪態を付き、少しすっきりしまして。太郎の離乳食の準備をしていたら、呼び鈴がなりまして・・・。

出てみましたら、何と!!
UPSのお兄ちゃんがやってきまして・・・。

「本部から、午後にはいないそうだから、手のあいているものが、すぐに取りに行くようにって連絡が来たから、本来の集配ルートとは外れているけど、特別に取りにきました。」

と、もったいぶって説明してくれました。


結論から言うと、3回来て不在で荷物が受け取れないくらいなら、従来のルートとは違っても、手に開いているものが取りに行ったほうが合理的だと判断したのでしょう。


やっぱり、最後の最後で、アメリカ式(?)の合理性が勝ちました。
荷物を紛失しておきながら、逆切れして、挙句の果てに、こちらには何の連絡も入れてこなかったドイチェポストよりは、マシな会社だと判明しました。

確か、日本からクロOコを使って独逸に送ると、UPSが独逸での提携先となるんですね。

むか~し、弓道の弓を送ってもらったときに、特別に長いサイズの荷物は、クロOコでしか扱えないということで、UPSのお兄ちゃんが持ってきてくれたことがありました。あの時は、日本から3~4日で独逸の我が家に届いたはずなので、ポストよりも早いでしょうね。
ただ、関税がかかるかもしれない場合は、UPSを使わないほうが良いのです。
UPSでは関税納入代行業をサービスとして提供していまして、代行料金が加算されて、割高になります。
ドイチェポストは、どういう理由だかわかりませんが、関税の分しか取られません。

ちなみに、独逸では他に、DPDとかGLS、ヘルメスなどという宅配業者もありますが、どこも「ここなら信頼できる」というものではないですね。


そんなわけで、あれだけ腹を立てていたUPSですが、最後の最後に頑張ってくれました。
汚名だけ着せておいては失礼なので、フォローの記事をアップしてみました。


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げろんと的 独逸時事  | 19:27:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
UPSも使い物にならない・・・
日本もとっても寒いようですね。
ここ、独逸も急激に冷え込みまして、今の気温(朝9時前)がですね・・・


ま、マイナス8.6度!?!


でございます。


気管支炎のような症状も治まったので、今日、太郎の「赤ちゃん水泳教室」にデビューしようと思ったのですが、ノロノロ準備していたら、太郎が熟睡態勢に入ってしまいました。
フロントグラスをガリガリ・・・するのも時間がかかるし、無理に起こして不機嫌のときに水泳させても可哀想だと思って、天気は良いですが、引きこもりを決意。
冬、朝9時から水泳教室ってのは、要領の悪いげろんとのような母親にはキツイですねえ。
(ちょうど、太郎が寝てしまう時間ですし・・・)


さて、本日のテーマ。
アメリカ系宅配会社のUPSについてでございます。


先日、某エスプレッソ会社でエスプレッソの豆などを買いました。
大手では、私が一番美味しいと思っているイタリアi社のものです。

ところが、間違った商品が送られてきた・・・。
間違っていても、こっちが得するんなら、黙っておこうかと思うんですが、こっちが50ユーロも損する。
こりゃ、いけない・・・と慌てて電話しまして、商品の交換をお願いしました。
そのときに、
「家にいないことも多いので、すぐ近所にあるサービスセンターに届けます。」と言ったのですが、i社のほうから、「会社の規定で、UPSのものが取りに行くことになっていますので、不在の際には、UPSと交渉してください」と返答されまして・・・。

そのUPSが、昨日の夕方、荷物を取りにやってきたそうなのです。
が、義母の誕生日のお茶会(といっても、義理両親と私たち3人だけ)に呼ばれて、不在でした。
不在連絡票には、「明日、取りに来ます」となってまして・・・。
でも、本日もUPSが取りに来る夕方には、W市の大学病院にいる義母の送り迎えを頼まれたので、不在の予定。
そして、恐らく明後日も退院する義父を送るために、不在の可能性が高いのです。


仕方なく、UPSに連絡(それも、あの1分間に14セントもする長割高な電話番号!!)して、

「こちらから、サービスセンター(ベビーカーで散歩できる距離)に出向きます」と申しましたら、


「それは不可能です」と。


何でも、「依頼者(i社)との契約で、こちらが取りに行くことが条件という形での料金を支払われていますので、お宅に荷物を取りに行かないといけないことになっています。」ということだそうです。

でも、不在ものは不在。
3回きてもらったところで、家にいなきゃ、荷物は渡せません。

UPS「お隣さんにお願いできないんですか??」


いや、私が、このアパートの住人の荷物受け取りを毎日のように引き受けている状態なんですから、ここには誰もいないですよ。


UPS「依頼者(i社)のほうから、返品方式を変更してくれなければ、こちらでは別の対応はできません。」の一点張り。


こちらも、堪忍袋の緒が切れそうでした。
いつまでも、不要な商品を家においておくのはイヤだし、先方からは、UPSと電話で交渉してくれって言われたんですよ・・・と、落ち着いた声で交渉を試みたものの失敗。
本当に、融通が利かない。
最終的に迷惑しているのは、いらない商品を送付されてきて、その返品すらスムーズにいかず、イライラしているこの私です。


ちなみに、依然書いた、英国デパートからの商品が届かない件。
デパート側にクレームをいれ、デパート側からのクレームに「紛失しました」とDHLが返答をしたそうです。
DHLから私に、「調査します」と言ってきたのに、私に直接「紛失」のお詫びは無し。
デパートは、返金を求めたら、さっさとお金を返してくれました。
これが独逸のデパートだったら、「どっちが客や??」と問い返したくなるような態度を、「顧客サービス係」にされ、返金までの道のりも、とてつもなく長いものとなったことでしょう。



知人も別の所でぼやいていましたが、ここんとこ、独逸の運輸業、ダメですねえ。
UPSはアメリカ系ではありますが、あの融通の利かなさは、まさに「独逸のサービス体制」です。


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げろんと的 独逸時事  | 09:24:14 | トラックバック(0) | コメント(2)
Sir Nickyという人
感染症の時期ですね。
いかがお過ごしでしょうか。

ドイツは、ずっと生暖かい日々が続いていたのですが、週末から急に冷え込みました。
そのお陰で、アイスワイン(凍るまで枝にへばりついていた葡萄からできる、糖度もお値段もとびっきり高いデザートワイン)用の葡萄の収穫が行われたそうです。
とはいっても、この暖冬のお陰で、収穫量が非常に少なかったのだとか・・・。
ちなみに、マイナス7度にならないと、葡萄の水分が完全には凍らないので、収穫はマイナス7度が目安。


昨日、ARDのニュースを見てから、何気なくテレビをつけっぱなしにしていたら、こんなドキュメンタリー番組がやっていました。


Sir Nicky - Held wider Wille


(番組の簡単な紹介はこちら


第二次世界大戦が始まる直前に、チェコに住むユダヤ系住民の子供たちを、養子縁組により脱出させる活動をした英国人のお話。
公的な機関を通さず、個人として、利害関係なしに670人程度の子供を英国(経由で他国へ逃げた場合もあり)へと脱出させたのです。

この


Sir Nicolas Winton

↑クリックで独語wikiに飛びます。

という男性。

キリスト教に改宗したユダヤ系ドイツ人として、子供の頃に英国へ渡り、姓をWertheimerからWintonに変えたとのこと。
銀行で各国で働き、英国に戻り、株のブローカーとして働いていたのですが、1938年にプラハに住む知人の招待で現地へ趣き、「せめて、子供たちだけでも救わないと、大変なことになる」と、即座に子供たちを国外へ脱出させる行動を起こしたのです。(この知人は、当時すでにドイツに占領されたズデーテン地方から、プラハへと逃げてきたとのこと)

なぜ子供たちだけ??

それは、1938年のReichskristallnacht(ライヒス・クリスタールナッハト 水晶の夜)以降、イギリスの法律上、17歳以下のユダヤ人の子供を受け入れることが可能であったためです。

彼は、子供たちのビザ取得のための資金を集め、子供たちを受け入れる養父母を探し、子供たちを移動させるという手配に力を尽くしました。時には、子供の生年月日を偽り、17歳以下にしたてあげたパスを偽造したりもしたそうです。


私が驚いたのは、当時、まだナチス・ドイツに占領されては居なかったプラハで、「今すぐ行動を起こさねば」という危機感を抱き、即座に行動に移した、彼の判断力と機動力。
そして、戦後も、脱出させた子供たちのリストを保存しながらも、誰にも(妻にさえも)自分の善行を明かさなかったという「さりげなさ」・・・。
たまたま、彼の妻が、このリストを見つけたことから、メディアの知るところとなり、彼に救われた子供たちを集めたテレビ番組(本人にはその旨が伝えられず、サプライズの演出だったとか・・・。いま流行りのヤラセかもしれませんが)に出演したことで、有名になったお話なのだそうです。


勿論、時には乳飲み子のように小さかった我が子を手放し、異国の見知らぬ人間に託し、「何としてでも子供だけは救わねば」という勇気ある行動に出た、子供たちの両親も凄いと思います。
子供たちの両親は、劣悪な環境化での強制労働・強制移送によって、あるいはガス室で命を落とし、わが子には二度と会えなかったのです。
どんな思いで、わが子に別れを告げたことでしょう。

ニコラス・ウィントンのユダヤ系の子供脱出作戦の最終便は、1939年9月に予定されていました。
しかし、第二次世界大戦の開始により、子供たちは脱出できず、脱出予定だった子供たちの行方も、そのまま分からずじまいだということです。



最近では、「英国のシンドラー」などと彼のことを呼んでいるそうです。
本人、本当はそんな風に呼ばれたくないのでは・・・。
自分の起こした勇気ある行動を妻にすら言わなかったのですから。


英国では、ロックスターにも Sirの称号を与えたりしていますが、彼こそ、この称号に見合う行動を起こした人は少ないのではないでしょうか。

素早く決断し、行動を起こすことができたのは、株のブローカーとしての彼の経験のお陰かもしれませんね。



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世界のいろいろ | 12:12:54 | トラックバック(0) | コメント(2)
難民申請却下
げろんと、海外に住んでいる日本人で、日本国籍保持者です。
日本で日本人として暮らしていると、「日本人=日本国籍保持」という感覚は、当たり前のことに思えてくるですが、独逸にいると「そうでもない」ということに気が付きます。
たとえば、自称「トルコ人」の元学友ですが、実際には独逸国籍保持者で、トルコ国籍を有していません。
私はそういう人を、「トルコ系独逸人」と便宜上呼んでいますが、元学友としては、「トルコ民族=トルコ人」という捉え方が正しいと思っているのでしょう。
勿論、独逸政府やゲルマン民族たちは、「独逸人=独逸国籍保持者=独逸語が母語で独逸文化に通じ、独逸社会に溶け込んでいる」という妄想を捨てきれず、独逸国籍を持つ異民族に対しての攻撃を続けるケースも出てきます。私自身、独逸語を理解し、独逸社会に溶け込む努力をし、独逸文化に関心を示すのは、国籍保持者に限らず、この国で暮らす上では、重要かつ便利なことだと思っているのですが、移民にそれを押し付けたところで、無理なものは無理だと思う・・・という立場です。


さて、独逸でも、日本でもそうですが、外国籍の人間ということは、当然ながら滞在許可が必要なわけです。
げろんとのように、独逸人と結婚して独逸で生活している場合には、いとも簡単に滞在許可がおり、石の上にも3年・・・の言葉通り、3年もいれば、無期限滞在許可のような「定住許可(Niederlassungserlaubnis)」がいただけます。この制度を悪用して、独逸での滞在許可&就労権が欲しいがために、3年間我慢をして独逸人と結婚する人たちもいますが。
婚姻関係以外で独逸に来る外国人の中には、滞在許可のために、外国人局との闘いを繰り広げる場合も少なくないのではないでしょうか。


先日、コソボ出身という男性30歳と話す機会がありました。
彼は、8歳のときに家族とともに、戦火を逃れてやってきて、それ以来、故郷の地を踏んでいない、いわゆる「難民」のような立場。
しかし、実際には、難民申請が却下されて、正式な滞在許可を持たないという宙ぶらりんな状態のまま、22年経っているわけです。彼らは、Asyldüldende(アシュールデュルデンデ)と呼ばれ、「本国に送り帰されるのを待っている状態」。22年間もですよ!! コソボが独立し、現地が戦争状態ではないということも手伝い、彼らが難民申請して受け入れられる可能性はゼロに近いでしょう。

どういう経緯だか不明ですが、五人兄妹のうち、一番上のお兄さんはベルギー、二番目のお姉さんはフランスへ渡り、現地で難民申請が受け入れられ、正式に滞在許可をもらっているのだそうですが、両親と残りの3人は独逸に来てしまったばっかりに、難民申請を却下されてしまったわけです。
それなら、フランスかベルギーへ行けばよいのでは???と、普通なら考えるのでしょうが、このアシュールデュルデンデという立場では、居住する群・市の管轄外には許可なしに出られないということと、難民法のルールで、「暮らすのに危険でないとみなされる地域で、一番最初に足を踏み入れた国で難民申請を行わなければならない」という規定がありますので、ベルギーやフランスで新たに難民申請をすることができないのです。


リビアやチュニジアから地中海を船で渡って、イタリア・スペインに来る難民希望者というのは、イタリアなりスペインで難民申請を行わなければならず、アラブの春の際には、特にイタリア政府が悲鳴を上げていましたね。


おまけに、彼らは「正式な滞在許可」がないので、就労も許されていません。
(表向きは!!)税金から出る生活費で生活している身分なのです。

私が話をした人は、3歳のころから知っている親戚関係の女性(やはり難民申請を却下され、表向きは「本国送還待ち状態」の女性)と結婚し、4人の子持ち!!
子供たちは、当然ながら、コソボという国を見たことがないのですが、それでも、「国に帰るように」と命令が下ったら、見知らぬ国・コソボで暮らさなくてはならないのです。

こういう話、テレビや雑誌では知っていても、なかなか実際にその立場にいる人と話す機会ってないものです。
日本人として、世界中で怪しまれないパスポートを持ち、ここでも独逸人の妻として「のほほ~ん」と生活している私には、想像もつかないような苦労と不安を抱えながら生きている人もいるのだな・・・と、世の不公平さを感じます。

とは言うものの、物事、いろいろな角度から眺めて見なければなりません。
今までの話は、あくまでも難民申請を却下された立場の方から聞いた話。

この町に住む独逸人や外国人局の職員から見たら、こんな感じです。

少なくとも、彼が住んでいる郡に限っては、皆さん、それなりの生活をなさっています。
げろんとが住んでいる郡は、まるで兵舎を荒廃させたような、ひどい建物で好ましくない住環境だと、バイエルン公共放送でも報道されてくらいです。が、この男性一家が暮らす、お隣の郡では、普通のアパートのような建物を郡が借り切って、きちんと管理されています。確か、テレビもあったような・・・。

この男性、持っている携帯電話も服装も、ろん夫よりもいいものでした。
一体、どうやって携帯を維持できるんだか??
子供4人も居て、家族の誰も正式には働けないはずなのに・・・。

実は、彼の親戚関係で、「糖尿病の悪化が著しく、コソボに帰せるような健康状態じゃない」という理由で、正式な滞在許可を求めて訴訟を起こしている人がいるのですが、この糖尿病患者さん、薬を飲まない・・・など、「努力して」糖尿病を悪化させているのです。
ちなみに、その糖尿病患者さんの法廷提出用診断書ですが、弁護士から「費用は患者本人に請求して欲しい」と言われまして・・・。当然、払えるわけがなく、踏み倒しですわ~。
私、「患者さんが軟禁状態にある群の外国人局に請求してみたら??」と進言したんですが、大した金額(二桁でおさまる範囲内)じゃないからという理由で却下されました。


逆に考えれば、「体を張り、どんなセコイ手を使ってでも、何とか独逸に残りたい」と思うほど、祖国は酷い状態なのだ・・・ということでしょうか。われわれは、この裁判の行方も知る由がありませんし、4人の子持ちの男性の将来も見届けることはできませんが、希望がかない、この国で一生懸命働いて、税金を払って、今まで税金で生活してきた分を返す意気込みで生活してくれるといいなと願うしかありません。

丸々と太って、幸せそうに寝ているわが子と、生まれた国からいつ見知らぬ国へ追い出されるか分からない子供たち。どちらも同じように、「移民の子」として、この国で生まれてきた命なのに・・・と思うと、やっぱり心が痛みます。
この4人の子持ちの男性、非常に人当たりがよく、「書類を出してくれる相手を怒らせないように・・・」とものすごく気を使っているのようでした。もしかして、威張りくさる外国人局の職員相手に、下手に下手に出て、滞在許可を半年ずつ延長してもらうという人生を送っているからなんじゃないかな・・・と思います。
(ちょっと立場は違いますが、トルコ系労働移民の子であり、FDP自由民主党の幹部まで務めたことのあるMehmet Gürcan Daimagülerの回想でも、そんなくだりがありましたっけ。)



新年早々、重たい話だな~と思いつつ、覚えているうちに書かないと、すぐ忘れちゃうもんですから・・・。
お付き合いくださって、ありがとうございました。

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げろんと的 独逸時事  | 14:55:01 | トラックバック(0) | コメント(2)
あけましておめでとうございます
2012年、あけましておめでとうございます。

文字通り大きく揺れた2011年でしたが、我が家には新しい命が誕生し、にぎやかで喜びに沸いた年でもありました。

年末は、30日午後までびっちりと仕事。あれこれとバタバタしているうちに、ブログの更新どころか、お正月らしいことは何もしないまま、新年を迎えてしまいました。

大晦日は、ろん夫と二人で餃子鍋。
12時少し前にミルクタイムで目を覚ました太郎を抱えながら、アパートの窓から村の人々が個人であげる花火を見つめて過ごしました。
このアパートに引っ越してきてから6回目のお正月ですが、アパートの窓から花火を見たのは、これが初めて。
4階の屋根裏部屋ということもあって、とても綺麗に見えました。

太郎は、怖がることもなく、興奮して花火を見つめていました。
あまりにも興奮したので、眠れないかも・・・と心配しながら、太郎をベッドに戻しましたが、しばらくブツブツ独り言を言っていたかと思ったら、すぐに寝てました。誰に似たのか、あまり神経質なタイプではないようです。
写真撮影したかったのに、カメラの調子が悪くて写りませんでした。
確か、アルペンさんが素晴らしい写真を載せていらっしゃったはずですので、ご興味がある方は、アルペンさんのブログへどうぞ。

独逸では、2日から平日扱い。
今年は、運が悪くて、大晦日・元旦が週末にあたったこともあり、2日から平常業務。
妙に暖かいこともあって、正月気分が盛り上がらない。
とはいえ、バイエルン州は1月6日が再び祝日ですから、文句言えません。
東方の三賢人に感謝せねば・・・。

今年は、大きな変化が起こる年になりそうですが、持ち前のいい加減さで、乗り切っていきます。
皆様にとっても、健康で楽しく過ごせる一年となりますように。

今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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ごあいさつ | 16:11:38 | トラックバック(0) | コメント(2)
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