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2012-01-19 Thu
感染症の時期ですね。いかがお過ごしでしょうか。
ドイツは、ずっと生暖かい日々が続いていたのですが、週末から急に冷え込みました。
そのお陰で、アイスワイン(凍るまで枝にへばりついていた葡萄からできる、糖度もお値段もとびっきり高いデザートワイン)用の葡萄の収穫が行われたそうです。
とはいっても、この暖冬のお陰で、収穫量が非常に少なかったのだとか・・・。
ちなみに、マイナス7度にならないと、葡萄の水分が完全には凍らないので、収穫はマイナス7度が目安。
昨日、ARDのニュースを見てから、何気なくテレビをつけっぱなしにしていたら、こんなドキュメンタリー番組がやっていました。
Sir Nicky - Held wider Wille
(番組の簡単な紹介はこちら)
第二次世界大戦が始まる直前に、チェコに住むユダヤ系住民の子供たちを、養子縁組により脱出させる活動をした英国人のお話。
公的な機関を通さず、個人として、利害関係なしに670人程度の子供を英国(経由で他国へ逃げた場合もあり)へと脱出させたのです。
この
Sir Nicolas Winton
↑クリックで独語wikiに飛びます。
という男性。
キリスト教に改宗したユダヤ系ドイツ人として、子供の頃に英国へ渡り、姓をWertheimerからWintonに変えたとのこと。
銀行で各国で働き、英国に戻り、株のブローカーとして働いていたのですが、1938年にプラハに住む知人の招待で現地へ趣き、「せめて、子供たちだけでも救わないと、大変なことになる」と、即座に子供たちを国外へ脱出させる行動を起こしたのです。(この知人は、当時すでにドイツに占領されたズデーテン地方から、プラハへと逃げてきたとのこと)
なぜ子供たちだけ??
それは、1938年のReichskristallnacht(ライヒス・クリスタールナッハト 水晶の夜)以降、イギリスの法律上、17歳以下のユダヤ人の子供を受け入れることが可能であったためです。
彼は、子供たちのビザ取得のための資金を集め、子供たちを受け入れる養父母を探し、子供たちを移動させるという手配に力を尽くしました。時には、子供の生年月日を偽り、17歳以下にしたてあげたパスを偽造したりもしたそうです。
私が驚いたのは、当時、まだナチス・ドイツに占領されては居なかったプラハで、「今すぐ行動を起こさねば」という危機感を抱き、即座に行動に移した、彼の判断力と機動力。
そして、戦後も、脱出させた子供たちのリストを保存しながらも、誰にも(妻にさえも)自分の善行を明かさなかったという「さりげなさ」・・・。
たまたま、彼の妻が、このリストを見つけたことから、メディアの知るところとなり、彼に救われた子供たちを集めたテレビ番組(本人にはその旨が伝えられず、サプライズの演出だったとか・・・。いま流行りのヤラセかもしれませんが)に出演したことで、有名になったお話なのだそうです。
勿論、時には乳飲み子のように小さかった我が子を手放し、異国の見知らぬ人間に託し、「何としてでも子供だけは救わねば」という勇気ある行動に出た、子供たちの両親も凄いと思います。
子供たちの両親は、劣悪な環境化での強制労働・強制移送によって、あるいはガス室で命を落とし、わが子には二度と会えなかったのです。
どんな思いで、わが子に別れを告げたことでしょう。
ニコラス・ウィントンのユダヤ系の子供脱出作戦の最終便は、1939年9月に予定されていました。
しかし、第二次世界大戦の開始により、子供たちは脱出できず、脱出予定だった子供たちの行方も、そのまま分からずじまいだということです。
最近では、「英国のシンドラー」などと彼のことを呼んでいるそうです。
本人、本当はそんな風に呼ばれたくないのでは・・・。
自分の起こした勇気ある行動を妻にすら言わなかったのですから。
英国では、ロックスターにも Sirの称号を与えたりしていますが、彼こそ、この称号に見合う行動を起こした人は少ないのではないでしょうか。
素早く決断し、行動を起こすことができたのは、株のブローカーとしての彼の経験のお陰かもしれませんね。

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2011-02-01 Tue
本当は、3年近く前のドバイ旅行について、写真を掘り起こして書こうかと思っていたのですが、まずはタイムリーな話題から。チュニジアの政変を発端に、北アフリカ諸国や中東で、独裁者の圧政や貧困に不満を持つ民衆がデモ・暴動を起こしていますね。
実は、3週間後に出発予定で、げろんととろん夫、ナイル川クルーズ&紅海バカンスを予定しておりました。
年末から抱えている体調不安のため、結局、1月半ばにキャンセルしてしまったので、特に高額なキャンセル料を取られることもなく、キャンセルできました。
10%のキャンセル料も、Reiserücktrittsversicherung(ライゼ・リュックトリッツフェアジッヒャルング。舌をかみそうな名前ですが、予約していた旅行を病気や事故、職業・学業上の理由でキャンセルしなくてはならないばあい、キャンセル料の一部・あるいは全額が戻ってくる保険)に請求を出していますが、万が一、書類不十分で却下されても、痛くない程度。いや、ホントは痛いですけど・・・。
同じ時期に、滞在地こそ違えど、同じくエジプト紅海沿い(シナイ半島の先っぽ)でバカンス予定だった、げろんと医院の受付嬢その2は、この政情不安のせいで、痛い出費を強いられる可能性があるのです。
独逸の外務省Auswärtiges Amtは、エジプト渡航について、今のところ「注意喚起」Warnungしか出しておりません。カイロなどの大都市では、独逸国民を国外へ脱出させるためのルフトハンザ機による、独逸国民移送が始まりました。
しかし、「紅海沿いのリゾートは切迫した危険は認められない」として、渡航禁止を出していないのです。
渡航禁止を言い渡した場合、旅行会社は、予約している顧客に返金しなければならないそうですが・・・。
大手の旅行会社TUIや、Thomas Cookなどでは、既に自主的に、無料で予約(つまり行き先)変更の手続きを取っているそうですが、小さめの旅行会社(というか旅行主催者?)やエジプトだけを専門にしている旅行会社だと、なかなかこのようにはいきません。
こういう場合、事態が収まるのを待つか、渡航禁止に切り替わるのを待つか、あるいは、出費を覚悟でキャンセルするかのどれかです。いや、そのまま旅行を強行しちゃってもいいのですが・・・。
うちの受付嬢その2、初めての海外、それも、初めての飛行機。
不安になるのは、当然です。
彼女は、結局、キャンセルしちゃったのですが、キャンセル料は旅行代金の25%。
政情不安というのは、上記のキャンセル料が戻ってくる保険の対象外のはずなので、自己負担となってしまうのです。
エジプトは、基本的には、安く行けるバカンス(だから、げろんと家も2年連続で行く予定だったのです)ですから、旅行代金の25%といっても、目が飛び出るほど高額ではありません。
でも、彼女の稼ぎを知っている我々からすれば、とても痛い出費になるのは、一目瞭然。
観光業界や、旅行保険業界にとっても、痛い話。
ましてや、現地で観光業で身を立てている人々にとっては、死活問題。
(あの国に、保障制度があるわけないでしょうから・・・)
ここまで事態が悪化したのは、汚職で私腹を肥やし続けた大統領とその一族、そして取り巻きたちのみならず、それを中東政策の有効な手段として黙認・利用してきた、欧米諸国の責任でもあります。
昨日の報道(ARD・Tagesthemen am 31.01.2011)では、西側から危惧されていたほど、イスラム同胞団の現地での支持率は高くないとの話。
それでも、この勢力が新政権に関わってくるようなら、情勢は複雑になってくるでしょうし、イスラエルとエジプト間の中東和平にも影響が出てきます。
ただでさえ迫害されているコプト教徒たちの生活は、ますます脅かされるでしょう。
ムバラク大統領がこのままでいられるわけはないと思いますが、エジプト情勢は、今後も注目です。
エジプト情勢に思いをめぐらすのは、人道的とか、そんな目的もあるんですが、何よりも・・・。
ほら・・・・。
うちの来年2月のバカンス先、「時期的にも予算的にも、日本がダメなら、絶対にエジプトだろうな」と信じて疑わなかったものですから。
我が家の年間予定というのは、「どこに休暇に行くか」(つまり、いつがベストシーズンかが問われます)を考えた上で、近所の同業者たちと話し合って、決定されます。ちなみに、メインの旅行先の選択はすでに、前年の6月ごろから夫婦の間で話し合われます。もう一回は、低予算でビーチバカンスというお約束になっていまして。
新年早々、2011年の休暇計画、狂いに狂っていますので、「せめて2012年は計画通りに・・・」というのが、ろん夫の希望のようです。
げろんとも、できれば太陽が燦々と輝く紅海沿いで、ゴロゴロ三食昼寝つきの日々を過ごしたかったというのが、本音なんだけど・・・。

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傷心の受付嬢その2を励ますために・・・。
2010-06-20 Sun
いやいや、ワールドカップが盛り上がっていますね。日本は、初戦でカメルーンに勝利。
二戦目のオランダ戦も、負けはしましたが、非常に頑張っていたので、うれしいです。
といっても、オランダ戦は、隣町のカフェで大和撫子4名とおしゃべりしながら観戦したため、試合に熱中していたのかと言われると、口をつぐんでしまいますが・・・。
げろんとは、あまりサッカーに興味があるわけではありません。
ただ、素晴らしいゲームをするチームが勝つと、見ていても心がスッキリしますよね。
独逸の町中では、国旗が窓からぶら下げられてたり、国旗を立てた車が行きかっています。
サッカーファンではない人でも、この時期だけは、サッカーを観戦して、ウンチクをたれており、独逸におけるサッカー熱を感じることができます。
たまたま動画を検索していて見つけてしまった、おかしな応援歌です。
日本でも、これくらいに盛り上がっているのでしょうか?
この歌は、他のチームをバカにするというよりも、独逸の自虐的ジョークがちりばめられていて、げろんとのつぼにはまりました。

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今日もお付き合いくださいましてありがとうございます。
明日からは、再び診療に入り、ろん夫は初日から待機当番で泊まりこみます。
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